第1回 

(株)悠遊ワールド  代表取締役社長

 張 晞 さん (ちょう し、36歳)

「今日出発したいと電話してきても、ノーマルチケットでなく、格安航空券を手配できる。それが技術」 ベテランになると一度に3本の電話の対応をしながら予約を取り、一カ月に300人のチケットを手配する。 「この仕事は、本当に旅行が好きで、予約をしながらまるで自分が出発するような気持ちになってしまう人でないと勤まらないですね」

就職した会社が次々に倒産
お蔭で経営哲学を身につける
  「中国では、事業に失敗した人に対して、周りの人が温かく迎えてくれることは決してありません。だから私も日本で成功することしか考えてきませんでした。だって、帰るところがなくなってしまうのですから」
瞳をキラキラさせながら笑う張晞さん。そんな彼女は、独立するまでに、3つの会社の倒産を身近に経験している。
 憧れの日本に留学し、青山の旅行会社に初就職した。しかし、権限のない雇われ社長の経営の甘さから1年余りで倒産。転職した航空券を卸す問屋も資金繰りが苦しくなり、あえなく倒産した。
 「旅行会社には、まずお客さまから入金がある。すると経営者は、支払いのことを忘れて、儲かっていると勘違いしてしまうのです。資金に余裕があると錯覚してしまうのですね」
 3社目の旅行会社の社長は、格安チケット業界25年という大ベテランだった。しかし、ここも問屋への支払いが滞りがちになり、結局倒産してしまう。
 張さんは資金繰りの危うさにうすうす気がついていた。チケットを仕入れるお金がないために、お客さまに渡す日が一日また、一日と延びていたからだ。
 「もっと自分なら会社をきちんと運営していけるのではないかと漠然と感じて、自然と独立という形になりました。でも子どもがいなかったら、独立していなかったとも思います。この子が恥ずかしい思いをしないように、会社の経営者という立派な人になろうと自分自身で決めたのです」
 中国人であることや年齢など、再就職するには不利な条件ばかりを抱えていたという側面もあった。しかし、何より自分のしてきた仕事に自信があり、このままでは納得ができなかったのだ。

旅行業は経験と技術と人間性、
独立してもやれると確信した
 「実は、会社を辞める前に自分の力を試したくて、一番暇な11月にどのくらいの売上げをあげられるかをテストしてみました。新規のお客さまからは、一切受注せずに、リピーター客からの仕事しかしませんでしたが、全く売上げは落ちない。これなら独立してもやっていけると確信がもてました」
結局同じ会社の男性社員2人がその営業力にほれ込み、一緒に独立することになった。会社設立の挨拶状を書いているときに張さんは、この仕事は天職だったのだと改めて感じたという。
 「380人のお客さますべての予約シーンが蘇ってきたのです。会ったことはない方ばかりなのに、さまざまなエピソードをはっきり覚えていた。その時のことを一言コメントに添えて挨拶状を出しました。今でもいいお付き合いです」
 一月に何百というお客さまの航空券を手配するのだから、当然ミスが発生する。しかし、何があっても必ず出発させられることが、経験と技術のなせる技なのだという。時には、赤字覚悟でノーマルチケットを買って、お客さまを送り出すこともある。
   「トラブルが、起きたらとにかく誠意をもってしっかり対応します。そういう事件があったお客さまのほうが、リピーターになってくれる率が高いのですよ(笑)」

 池袋に念願の支店もだした。全額自己負担金でまかない無借金での出店である。この無借金経営を貫くという経営哲学は、数々の倒産劇を通して身に付けたものだ。
 「支店を増やしたいというのは、私の夢。でもそのために社員に金銭的な心配をさせてはいけないでしょ? 将来は、山手線沿線に、ひとつずつ出店していきたいと思っています」


Q.会社の方針を教えてください。

お客さまの旅の総合コンサルタントになれるように、サービス精神と情熱を常にもって仕事にあたるようにということをいつも言っています。社内的には一人ひとりの才能をいかせるような環境や、働きやすさを作るのがモットーです。それから、経費の使い方については厳しいですよ。なにせ経費の使いすぎで倒産した会社をたくさん見てきましたから。無駄なお金は、一切使いません。受付の椅子も6年間使い倒して、安いものを探してやっと買いました。社員が使う机や椅子はすべて中古品ですしね。

Q.将来の夢はなんですか?

会社設立をして6年目で初めて3日間お休みをもらってサイパンへ一人で行きました。そこでゆっくり考えたのが、将来は、英語やタイ語を習うために留学したいということ。日本での留学生時代は、食べていくために必死で勉強どころじゃなかったから、今度こそ色々な言葉を本気で勉強したいんです。

Q.インターネットの普及による業務変化はありますか?

航空会社が格安チケットをネットで直接販売するようになってきましたが、席が少なかったり、ずいぶん前から予約をしなければいけないなど、制約がかなり多いのです。ですからまだまだ競合はしないと考えています。私たちの、培った経験からくる付加価値サービスで、差別化を図っていきたいですね。将来は、この情報をもとに旅行 コンサル業ができたらと思います。

Q.後に続く女性起業家にメッセージを

会社員時代からどこにいっても通用する技術を身に付けることが、独立への近道です。それから部長なり、社長なりがなぜあなたにそう言うのか、どうやって仕事をしたいと考えているのかなど、上司の立場にたってものを考えるくせをつけましょう。自分が経営者になったときの練習になりますよ。きっと役にたちます。

   

新宿西口の小滝橋通りに面したビルに事務所がある。フリの客が訪れることは少なく、電話による受付け業務がほとんどだ。学生や商社マンのほか、在日中国人の里帰りの手配などのお客さまも多い 。

スタッフは、池袋を合わせて15人。日本人も中国留学経験者が多く、ほとんどの人が中国語が堪能。ベトナム通がいたり、シベリア鉄道のプロがいたり、それぞれ得意分野をもっている優秀なスタッフばかりだ。「この仕事に大切なのは、適正があるかどうか。人の能力が売上に直結します」張さんは、当日もリクルーティングの面接をしていた。

スタッフ紹介も載っている、悠遊ワールドのホームページ。行きたい国に精通したスタッフを選んで、旅の手配をお願いすることができる。

http://www.youyouworld.com

   

中国南京市で生まれる。
86年◆就職
南京財貿学院商学部を卒業後、ホテルに就職。フロントを担当しながら、日本への憧れを募らせる。
88年◆来日
日本に留学し、品川の日本語学校に通いながら、旅行会社でアルバイトをしながら生活費を稼ぐ。
90年、91年◆就職そして結婚
青山の旅行会社に就職。結婚

92年◆転職
旅行会社が経営力のなさから倒産。航空券を卸す問屋に就職したが、ここも翌年には 金繰りのめどがつかずに、倒産。
94年◆出産
男の子を出産。この時、勤務先は資金繰りが危なくなっていた。
95年◆会社設立
出産後6ヶ月で、倒産しかけた会社の同僚2人と旅行会社設立。
00年◆支店第一号出店
全額個人出資で、初の支店を池袋に出店。


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